10月28日ストリートはオモニア広場から北へ延びた通り。
途中でパティション通りと名前が変わます。
10月28日と名前は言う名前は当時の首相だったイオアニス メタクサスがムッソリーニの最後通牒、ギリシャの全権をイタリアに明け渡せ、という要望を拒否したことを記念して付けられたとのこと。
当時はファシズムがヨーロッパ中を網羅せんばかりの状況だったから、政界は大騒ぎにだったでしょう。もちろんこの日をきっかけにこの2つの国は戦争に突入。ドイツ軍も援軍に入ってきてギリシャは敗北。
ともあれ10月28日ストリートは数あるメインストリートです。
北へ進みつつも振り返ると、必ずパルテノンが見えます。
日が沈んでライトアップされたパルテノンを眺めつつ歩くのもいい。写真で捉えられないのが残念ですが。 |
しかししかし、どのストリートもそうだけどアテネはとにかく落書きの量がすごいです。中にはアーティスティックなものもあるけど、ストリートによっては隙間もなくびっしり。
ギリシャの経済危機が報じられてEU離脱が騒がれたあたりから制御がきかなくなってきたらしい2016年になってようやく厳しい措置をすると発表したらしいけど、なんだか諦めモードに入ってるような気がします。。
しばらく歩くと、アテネ国立考古学博物館が右手に現れます。昼夜を問わず、前にある広場は人で賑わっています、なぜか武装した警察が常駐しているので危険な場所なのかなと思ったのですが、武装警察は街の至るところで常駐していました。今のこの博物館は1889年に完成したもの。(60年前の1829年には別の場所にあったそう)
この博物館から2ブロックほど歩くとPatision ストリートに変わります。ここからカフェや、映画館など地元エリアが始まり、観光客はほとんどいなくなりました道路の幅やスーパーマーケットの規模もだんだんと大きくなっていきます。なんとなく映画館の中に入ってみたら、値段は一律で7.5ユーロだから日本と比べると安いですね。
1ユーロショップ |
これはイギリスメーカーの Superdry…スペルドリ、”極度乾燥しなさい”よりはいいかな。。
(ちょっと調べたらSuperdry Groupはイギリスの上場企業でした!)
オモニア広場から歩き出して、1時間くらい北へ向かった。アテネは人種の豊かな街。それでもアジア人が一人でぶらぶらしてるとちょっと目立ってしまうような気がします。ちらっとではなくて、長めにじーっと視線を向けてるのがわかる。ま、そんなこと気にしても仕様がないので、ぐんぐん進みました。観光名所もいいけど、こういうローカルなエリアを歩く方が街を身近に感じることができますよ。