最近、キャロルにはまってます。

暇つぶしに何気なく見つけた映画で、最初は最初の15分くらいで飽きて、その後1ヶ月くらい忘れてた。

でもある夜眠れなくて、なんとなくまた観始めたらぐいぐい引き込まれて息を呑みながらどきどきしながら見てしまった。

それから映画のスクリプトをネットで見つけたので細かいセリフを確かめながらまた観た。

結局その夜は目が冴えてしまって寝たのは朝6時頃。

でも、久しぶりに見た質の高い映画だったからしょうがない。

少し寝て今度はYouTubeで映画に関連するインタビューを観まくった。

それにしてもケイト・ブランシェットのキャラクターへの表現力は本当に素晴らしい。

どうしたら、ああも深くきれいに、そしてセクシーな描写ができるんだろう。インタビューに答えながら、さらっと出てくる言葉たちに魅了される。

”声”もなんだかセクシー。あの”声”はどう表現したらいいんだろう。

高くもなく低くもなく、クリアだけどきびきびしていない、透き通る声ではないけれど、とても心地よく聞こえる。

でもやっぱりセクシーが一番しっくりくる。声が魅力的っていいですよね。

ウィキペディアで原作があるというのを知って、近くの図書館に行って借りて読み始めた。

でも私は読むのが遅くて、3ヶ月くらい掛かりそうだったので、読むのは諦めてオーディオブックを聞くことにしました(笑)

YouTubeで「The price of salt」で検索すれば出てきますよ。

チャプターごとに小説を開いて一緒に聞く。また料理をしながら、洗濯物を干しながら、買い物しながら毎日聞いている。

その間にも映画の好きなシーンやどきどきするシーンを繰り返し観たり、監督やルーニ-やサラ・ポールセンのインタビューをYouTubeで観ていて、ここ2,3週間ずっと”キャロル”三昧。

ブログを書き始めるようなって、自分の文章力の無さにどうにももどかしい、いらだたしい思いを持っている。

読書感想文の書き方や、レビューの書き方、映画の感想の書き方など、いろいろ調べるも、型があるようでない。

でも、小説でも映画でも、どんな本でもそれらをエンターテイメントで終わらせるのではなくて、自分の感性に響かせるようにしたい。

そうする為には、やっぱり取り入れるだけではダメなことがわかってきた(今さら)。。きちんと整理して出力もしなければ。出力できるようになって初めて感じた感情が自分のものとなる。

カタカナ日本語でいうアウトプットというやつですね。

これも一種の自分を磨くことになるんだと実感している。

私の表現力不足は、ひとつの作品に対して思いを巡らせ、掘り下げ、気づいたことや勉強になったこと、感じたことを表現するのを怠ってきたからだと思う。

読書感想文なんて小学校3年生くらいの時には大嫌いになっていて、夏休みの宿題なんか完全に無視しまくっていた私。

ちゃんとやっとけば人生ちょっと違ったかなぁと思う日々。

最近気づいたことは、どんなに時間が掛かろうと、下手でも、完璧じゃなくても一生懸命書くと気持ちがいいということ(笑 運動してさっぱりした時と同じ気持ち。

ちょっとしんどい時もあるけど、これからは過去にはまった作品も含めて、感じたことをブログの中で表現していきたい。

それにしても久しぶりに映画と小説、両方にまっている。

もしかしたら、自分はゲイかもしれない、とたまに思ったりする。

自分が同姓の人とキスしたりするのはまったく想像できないけれど、映画のキャロルとテレーズの最後のレストランでのシーンを見ると心がはち切れんばかりに、どきどきしてしまう。

何度観ても心臓がバクバクしてしまう。もう20回以上も観てる。

それかゲイとは関係なしに、ああいう感情を自分が欲しているのかもしれない。

もし、そういうことがあったらここで報告します(笑

脚本も監督も素晴らしい、ケイト・ブランシェットとルーニーもこの2人以外にあのシーンを演じきれた人はいないような気がする。あの二人だからいい。完璧な本当に質の高い映画だ。

小説と映画ではキャラクターの設定が大分違うので、その違いや私が思うキャラクターや感想を別に書いていこうと思う。

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