以前、ケイトブランシェットのことをとにかく素晴らしいと言ったのだけれど、キャロルを最初から最後までじっくり観ていたら、なぜかツッコミ所が出てきてしまった。

彼女を素晴らしいと感じたのは、キャロルに関するインタビューをYouTubeでたくさん聞いて、彼女は出演した誰よりも”キャロル”という人物や、ストーリーの背景、またテレーズやテレーズとキャロルの関係について理解しているなと思ったから。

ケイトさんの物語や役のキャラクターを説明するその表現は豊かで洞察が深くて鋭くて、しかもそれらの言葉はさらさら~と彼女の口から出てくるので、自分は表現力に欠けていると思っている私にとっては、ただただ「素晴らしい」としか思えなかったのでした。

最後のクレジットを見ていたら、ケイトさんはディレクターの一人だったようです。

キャロルはキャロルとテレーズの物語なのだけれど、実はテレーズは言葉が少なく、ほとんどがリアクションの演技です。受け取り方は自由なのだろうけど、言葉にするとなると難しい。

私はルーニーの大ファンでこの映画を観たのだけれど、キャロルではケイトさんの存在感が大きくて一気に魅せられてしまいました。

なのだけれど、何度も映画を観ている内に違和感を覚えるシーンもいくつか感じてしまった。

全体的に見ると、ルーニーやサラ・ポールセンの演技に比べると、ケイトさんの演技はちょっと大袈裟のように感じる。

何度も観ている内に、ルーニーの演技は本当に自然で実際に存在しそうなのだけれど、キャロルにはあくまで架空の人物かのような距離を感じつにはいられない。(私には縁遠いクラスの人というだけのことかもしれない(笑)

キャロルとテレーズが初めてランチをする場面で、テレーズの苗字を聞いた時に、「It’s very original」と間髪入れずに答える所や、クリスマスプレゼントを足で押して渡す場面に(とても50年代っぽい描写だという人もいましたが)私はなぜか居心地の悪さを覚えました。監督の狙いだったのかな。

キャロルが意を決してテレーズに手紙を送った後、最後のレストランでの場面でテレーズと話している時のケイトさんの話し方は、彼女のあの時の状況とは全然マッチしない。

取り繕ろっているのはわかるのだけれど、言葉の発し方や表情がなんとなーくあの場面には合っていないような気がしてしまう。そう感じたのは小説とのキャラクターの違いが影響しているかもしれない。

それとは別にルーニーのあのレストランでの演技は私が見た彼女が今まで出た映画の中で1番のお気に入りのシーンです。

大きな瞳でケイトを見つめる場面や、一緒に住まないと言われてショックを受けた表情、肩で息をしながら、感情が彼女の全身をほとばしっているのがこれでもかというくらいに伝わってきました。

なんだかうまく表現できないのだけれど、ぞくぞくしました。

ケイトさんの演技で好きな場面ももちろんあります。

キャロルがリンディーの親権を放棄する直前、弁護士事務所に向かっている途中でタクシーの中から、ストリートを歩いているテレーズを見かけます。

後部座席のウィンドウの端の端まで顔を近づけ、本当に愛おしいものを見るかのようにテレーズの姿を追いづづけるあのシーン、ぐぐーっと引き込まれて息を呑みました。

もしかしたら、小説を読んでしまったばっかりに映画の中のケイトが演じたキャロルに物足りなさを感じてしまったのかもしれない。小説の中のキャロルはとても冷静で感情を完璧にコントロールしている女性なのです。

でもテレーズはサーシャさんではなくて、ルーニーが演じてくれてよかった。候補に上がった女優さん達は見た所ルーニーよりも背が高く、ちょっとぽっちゃりめの方達ばかり。

抑えきれない感情を抱いて少女から女性へと成長していく過程を観せる映画キャロルではテレーズは華奢で背は高くない方がいいと思う。

小説の中のテレーズは実際にいたらちょっとややこしい子かも、とか思っちゃいそうだけど、映画の中のルーニーの演じたテレーズは素直に幼く、もろくとても美しい。

ルーニーは2008年あたりのインタビューでケイト・ブランシェットの大・大ファンと言っていました。映画エリザベスを観て感動したらしいです。

いやいや、でも今ではルーニーの演技力の方が断然素晴らしい。

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