1050年に建てれらたギリシャ正教会の教会。
ここでは建築物についてわかったことだけ書いておくことにしました。
歴史に触れると、キリスト教分裂の経緯や時代背景についての知識も必要になるので、キリスト教徒ではない私にとっては理解するのがとても大変。。。キリスト教の歴史はほんとに長く複雑です。
この教会はビザンティン建築様式、簡単にいうとビザンティン帝国下の時代に建てられたという意味ですね。
昔は僧院として僧侶になる前の見習い修道士たちが修行の場として使っていたそう。
教会は3つの部分から成り立っていて、それぞれが付け加えられる形で増築されました。
南側:聖母マリア奉献のため
北側:聖人バルバラ奉献のため
西側:プロピュライア(教会の入り口)と拝廊(教会の入り口ロビーという意味)
一説では聖母マリア奉献のために作られたともあリますが、広くはアテネの守護神アテネ、またはデメテルに捧げられたとの認識が強いようです、個人的には普通に正教会のための教会だと思いますが。。。
私は女神アテネの大ファンだけど、やっぱり”神話”というとなぜか真剣に飲み込むことが出来ないでいます。。。ちなみにアテネ、デメテル共にオリピア12神の一人ですね。
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photo taken by Marie-Lan Nguyen |
教会の中はcross-in-square といって教会堂の中に柱を4本立てて、平面が十字をなぞるように設計されています。四角のなかに十字、読んで字のごとくですね。
教会は現在アテネ大学が保有していて、中のモザイク画の修復、管理を学生たちが継続的に行なっているそうです。
多くの人で賑わうモダンなショッピングの通りに突然ぽつんと現れる古ぼけた教会。
他の教会に比べると厳粛さとか、威厳さを感じません。。。でもモナスティラキ広場にあるパンタナサ聖堂と同様、なんだか小さくて可愛らしいですよね。
ここではたくさんの人が腰を下ろしてお昼を食べていたり、ただただまったりしているので、平和な気分になれます。
名前の由来は?
カプニカレアというのは、ビザンティン帝国下で国民に課されていた税金を集めていた人の名字からきていると言われています。
最終的にその税金回収者の寄付があり、教会は完成したのでその名前が付けられたそうです。
アセニアン(アテネ市民)のジョーク
”まるでカプニカレアみたいだな”
教会はたくさんの紛争、戦争で損傷が激しく受けて、このエルム通りを建設する時に取り壊されそうになりましたが、オスマン王の父親が介入して、なんとかそのまま残されるようになったそうです。
でもダメージがあまりにひどく、みにくい、など今でもその当時の状態のイメージが深く残っている様子。
アセニアンは醜い人や年をとっておばぁちゃんみたいな人を教会の名前を使って、”まるでカプニカレアみたいだな”と表現するらしいですよ。