シャーシャの演技はとてもよかったですね。

でも正直に物語だけの感想を言うと、全く面白くもなんともない。。

ただの変わった女の子のお話ですよ、

成長も何もあったもんじゃぁない(笑)

卒業パーティに行く(はずだった)車の中の3人が呟いた、

”この子ちょっと変”

”うん、変だよな”

このセリフが彼女の全てを語ってる(笑)

自分で名付けた名前が”レディバード”です。

こんな子がクラスにいたらちょっと一歩引きますよ。そう呼んでほしいならそう呼びますけど、私は友達にはなれないかもしれない。

まぁ最後には病院から出て教会に寄った後に、実家に電話して

 ”クリスティンだけど” 

と自分の名前を名乗った場面が、

ついにありのままの自分を受け入れたみたいな、成長とも取れるかもしれないけど、

行動はただのパー子ちゃんじゃないですかっ(笑)

見栄っ張りだし、しかも虚言癖あり(笑)

この映画を見ようと思ったのは、ストーリーよりもシャーシャさんのアメリカン·アクセントがどんな感じなのか聞きたかったから。

YouTubeでアクセントクイーンなんて紹介されてたものだから、気になって仕方なかったんです。

あとはもちろん彼女の演技が見たかったから。

でも正直、シャーシャさん、この映画では高校生に見えなくて、最初から最後まで超·違和感。。。

キャスト間違ったんじゃねぇ?

この映画は2016の8月の終わりに撮影が開始されたそうなので、

シャーシャさんは当時22歳だったわけです。

そりゃ違和感ありますわね。

20代前半の俳優さんが高校生の役を演じるのは、珍しはありませんが、シャーシャさんは高校生にしてはあまりにも大人っぽすぎ。

体つきも少女というよりはもう女性って感じですし、最後まで私は違和感を持ってしまいました。

でもこの映画、評価もいいし、興行的にも大成功を納めたようなんですよ。

これたぶんシャーシャが出てたからです。

だってカリフォルニアだけどちょっと田舎が舞台のハイスクール物語にわざわざ22歳のアイリッシュ100%の女性を起用した映画がヒットするって、またまた違和感なくないですか?

でも、それでもやっぱりシャーシャの演技は引きつけられました。

シャーシャのアクセント

それはさておき、シャーシャさんのアメリカンアクセントはある意味新鮮でしたね。

普段のこってこってのアイリッシュアクセントが10分の1くらいは残ってるような気もしなかったわけじゃないけど、彼女の違った部分が見えて満足でした。

まぁ同じ英語なので、そこまで難しくはなかったのではとは思いますが、いつもと違うシャーシャが見れたのはよかったです。

もし彼女がフランス語とかスウェーデン語を話してたらもっとすごいですけどね。

なんで自分をレディバードなんて名付けたの?

ところでなんでクリスティーンは自分の名前が好きじゃなかったんでしょう。クリスチャンの名前であまりにも普通過ぎたからでしょうか。

これは作者のグレタ自身もどこからこの名前が出てきたのか知らないということでした。

毎回思うのですが、この映画のような何の変哲もない物語が高評価を集める背景にはいったい何があるんでしょう。

あまり関係ないかもしれないんですけど、鴨頭義人(かもがしら・よしひと)さんという方がYouTubeで以前、人の価値観っていうのは”足りないもの”に影響される、ようなことを言ってました。

例えば、戦後の人は”食べ物”を、バブル前の世代はとにかく”お金”、バブル崩壊後の世代は働く意義、2000年を過ぎたあたりの世代は”生きる意味”みたいなのに価値観を重視させるようです。

アメリカでこの映画が高評価を得た背景には青年期を青年らしく過ごせない10代の”欠乏感”があるのかもしれない、

な〜んてことを思っちゃいました。

みなさんはどう思いましたか?

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