勝利の広場からインフォメーションセンターのある通りを北へ抜けると
ティミショアラで一番古い広場、”自由の広場”革命がスタートした場所に出ます。

2011年頃には緑であふれる公園でしたが街のお色直しで、道路は封鎖され
今の広大な広場へと変身、周りにはたくさんのベンチが置かれて憩いの場になっています。ここでも何度も立ち寄ってはベンチに座り一休みしていました。

 

広場に入ってまず目につくのがど真ん中に建っている
聖メアリー・聖ネポムク像

一番上に建っているのが、聖メアリー、中ほどの一回り小さいのが聖ネポムク像。この銅像は典型的なオーストリアンバロック様式の銅像だそうです。

1756年、250年以上も前に最初にここに現れますが、政治体制の位置付けや紛争で何度も別の場所に移され、1960年になってはじめて、現在の元の位置に戻されたとのこと。

1989年の革命時には大きな損傷を受けて、今建っている銅像は2016年に修復されたものです。

聖ネポムクを初めて聞いたのでちょっと調べてみました。

東ヨーロッパには彼と関連した多くの記念碑や銅像があるようです。

名前をヨハネといってカトリック教会の聖人。頭上うしろに5つ星のリングがあるのが彼の銅像の特徴。チェコの南ボヘミア州のネポムク出身なのでこう呼ばれているそう。

聖人としての地位を与えられた理由が結構ユニークです。

列聖調査の際、彼の”舌が腐らずに残っていた”、こと、これが奇跡と見なされ認められ聖人になった。。。奇跡の基準はよくわからないですね。。

広場の周りには1700年代から存在している古い建物が並んでいます。

 

ティミショアラ・ウエスト大学

銅像の後ろに見える建物は昔のタウンホール。元は1731年にドイツのコミュニティーホールとして建てられたもの。今はティミショアラ・ウエスト大学の音楽部の講堂として使われています。

農務省農村開発部のオフィス

銅像を目の前にして右斜めあるのは農務省のオフィス。建物の建築年などは不明、かなり古ぼけていますね。公共建築物だからしょうがないのかな。

ミリタリーカジノ

銅像を目の前にして、左側にあるのはミリタリーカジノといって1747年に建設された建物。当時のカジノというのはギャンブルを目的としたものではなく、ダンスや音楽などエンターテイメントを主とした場所だったらしいですね。

週末に広場に行くと建物の中から民族音楽がよく聞こえました。

ガリソンコマンド

次は銅像を背にして、向かい側に見える白い建物はガリソンコマンド、軍隊の司令部が置かれていた場所ですね。1727年にはここに存在していたとのこと。

今は使われている気配がありません。

散歩コースで何度も通りました。日陰がないので昼間はとても暑く通り抜けるだけだったけど、日が落ちてからゆっくりするにはとてもいい場所です。冬なら気持ちよく日向ぼっこができそう。

昔タウンホールだった建物は今は大学の音楽部として使われています。そのせいかストリートミュージシャンがよくこの広場で演奏しているので、それだけでも楽しめます。

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